アフターケア相談所ゆずりは所長の高橋亜美さんが、2/4(火)のプロフェッショナル 仕事の流儀に出演されました。
以前国分寺で開催された、高橋亜美さんとofficeドーナツトークの田中さんとの「記憶と他者〜18才以降の貧困と虐待支援」に参加させていただいたことを思い出し、その時の内容も含め感想を書いてみたいと思います。
施設に来る子どもたちの心の傷
高橋さんは、アフターケア相談所ゆずりはを立ち上げる前に、自立援助ホームに9年間勤務されていました。自立援助ホームに来る子どもたちの多くは、虐待など心身に深い傷やPTSDを負っています。
「自立援助ホーム」とは、なんらかの理由で家庭にいられなくなり、働かざるを得なくなった原則として15歳から20歳までの青少年達に暮らしの場を与える施設です。(自立援助ホームとは | 全国自立援助ホーム協議会)
子どもたち自身がどういう思いでここに辿り着いたのかというと、希望して来ているわけではなく、
「こんなとこ来たくなかった」
「家にいるよりかはマシ」
「援交よりかはマシ」
という選択肢が少ない中での入所だったようです。
そして、これらの言葉は、子どもたちがこれまで出逢ったきた大人は、自分が助けて欲しいときに助けてくれなかった人たちであることを表しているようです。
自立援助ホームの職員にも「どうぜお前らだって」という根強い不信感があったと言います。
そのような状況の中、高橋さんの子どもたちへの思いは、
- 望んで来たわけではないけれど、「辿り着けて良かった」と思って欲しい
- 死んでもいいと思っていた子が「生きてみようか」と思ってくれたら
だったといいます。
最近、子どもの虐待がメディアで頻繁に報道されるようになりましたが、その瞬間にフォーカスは当たるものも、子どものその後についての報道はほとんど見たことがありません。
この問題をよく知らない人からすると、虐待を受けている子どもが児童相談所→施設への入所となれば安心と思ってしまうような気がします。現実は、その後にも大きな困難があり、それをもっと知ってもらう必要があると考えます。
ホームレスになるまでSOSを出せない
「アフターケア相談所ゆずりは」を立ち上げることになったその背景には、自立援助ホームを巣立ち社会に出た子どもたちを待ち受けている社会が、あまりにも過酷であるという現実があったといいます。
事実、巣立った子どもたちの行く先は、ブラック企業、借金、ホームレス、刑務所、性風俗産業なども少なくないようです。
ある日、自立援助ホームを巣立った子が家賃が払えなくなり、ホームレスになって大晦日に助けを求めてきたことがあったそうです。その子と3~4年も一緒に暮らしていたのに、ホームレスになるまでSOSを出してくれなかったことに大きなショックを受けたと言います。
- 応援しているつもりの「自立して」という言葉が押し付けていたもの。
子どもに「頑張ること」を押し付けていた。 - 彼らが背負っている深い傷や家族を頼れないハンデを甘く見ていた。
支援者として未熟だった。 - 巣立ったあとも、いつだって相談に来て欲しい。
虐待サバイバーは、自分でなんとかしようとするから、困る前に来て欲しい。
そこで、退所後のアフターケアをはじめたところ、相談(ニーズ)がとても多かったそうで、ゆずりはが立ち上がったそうです。
PTSDを抱えながら生きていくために必要なこと
子ども時代の虐待などからPTSDを発症する方が多いと聞きました。PTSDの症状は、フラッシュバック、欝、引きこもりなどのほかに、深刻な症状として「解離」というものがあるそうです。何か(加害者に似た声など)をきっかけに過去の記憶を思い出しそうになった時に、その余りに耐えられない記憶を封印するために、意識が飛んでしまうのだそうです。私はまだ理解しきれていませんが、そのブランクの間に事故に遭ったり、まわりとトラブルを起こしたり、人間関係の構築にも支障がでてくるようです。(詳しくは田中さんのブログ止まって暗黒になる〜PTSDの大人(田中俊英) - 個人 - Yahoo!ニュース)
また、PTSDによる影響(対人恐怖症など)から、手続きのために窓口に行けなかったり、病院に行けなかったり、制度や支援はあってもそれを利用することができない人たちがいることを知りました。高橋さんは、そういった方々の相談に無償でのるだけでなく、病院や役所に付き添うこともしているそうです。
以前、行政から「制度はもうあるんだから、わざわざ(あなたが)やらなくていいですよ」と言われたこともあったそうです。確かに、生活保護、女性・性被害相談、借金相談、法テラスなどありますが、そこに自力でたどり着けない人がいるわけで、福祉や支援に繋げて使えるようにするアウトリーチ型の支援者が必要なのだと思いました。
大人になって一見問題なく生活しているように見える人が、突然フラッシュバックを起こしてしまうことがあるようなのですが、このきっかけになるのが、「似た声」や「テレビのニュース」などになるようです。
「(虐待を受けたのは)何十年も前の話でしょ」と言ったりする方もいるようですが、一度受けたPTSDは、一見治ったように見えても完治せず一生続くそうです。
だから、治すのではなく、PTSDと一生うまく付き合っていくという考え方になる。
高橋さんは支援者として一生支え続ける覚悟を持たれているとおっしゃっていましたが、それが他の人にできるかというと、スーパー支援者ならできるかもしれませんが、なかなか難しいだろうなあと個人的に思います。支援者が疲弊してしまうようなかたちだと、取り組みも広がらないと思います。
では、どうしたらいいのでしょうか?
お二人の対話の中で2つの案がありました。
- 支援者を支える仕組み
・・バーンアウトの予防としての対価としてのお給料や休暇など。 - 助け合う関係性
・・ピアサポート、溜まれる仲間、恋人
1.については、支援職の中でもとてもハード且つ専門的なお仕事であり、支援者を支える仕組みがないと、広がっていかないと思いました。というのも、PTSDが引き起こす行動として、以下のようなものがあり、支援者の精神面にも大きく影響するであろうからです。
嘘をつく。時には、
ズル休みする。時には、
裏切る。時には、
一切コミュニケーションを遮断する、ひきこもる。時には、
甘える。泣く。叫ぶ。
そうしたもろもろの表現が、PTSDということである。解離(自我遮断的意識もうろう状態)的わかりやすい状態も時としてあるが、多くは自意識の乱れ的な態度としてそれは発現する。
その理由はもちろん、幼少期に暴力的に当事者を襲うPTSDだ。
(マイルドヤンキー支援者にPTSDアフターケアの気持ちがわかるか?(田中俊英) - 個人 - Yahoo!ニュースより)
こういったところも含めて人間であるということを知り、自分の正しさと価値観を一回手放す、自分をゆるめることができる人でないと出来ない仕事(してはいけない仕事)なのではというお話もありました。
2.については、PTSDの症状が出てきたときに助け合う当事者同士の関係性が重要に思います。専門家・支援者ではなかなかケアできない日常生活をいかに安心して過ごせるかが大事で、傷ついた心と体のケアをしてくれる仲間が必要だとのご指摘でした。
こういったコミュニティ・ネットワークを構築するには、専門性や調整力も必要だと思うので、ここを構築するお手伝いが、NPOに求められているのかなと感じました。
最後に、随分前ですが、「高橋さんにとって支援とは何か?」という問いに対しての答えを。
その人が抱えている背景に思いを馳せる。指導するのではなく、寄り添った上で、必要な知識を与えていく。他人を信じていないから攻撃的なこともある。でも、歩み寄りの一歩は私たちから。