傍楽 - Kaori's Blog

「働く」とは「傍(近くにいる人)」が「楽(らく)」になること。日々の仕事を通じて社会に貢献する、社会事業家・活動家から感じたことを綴っていきます。

「食わず女房」~端午の節句と菖蒲

5月5日の端午の節句は毎年菖蒲湯に入っている。

なぜ邪気払いに菖蒲なのだろうと調べてみると「食わず女房」という妖怪が登場する昔話があることを知った。

理想の嫁は「ご飯を食べないこと」という主人公に嫁いだのが「食わず女房」。その食わず女房の本性を知り逃げる際に、菖蒲の茂みに隠れたことで女は退散する。

これが由来のひとつだったのですね。

まんが日本昔ばなしにもありました。

 

youtu.be

 

武家社会では、「勝負」「尚武」に通じるものとしても重んじられていたそうです。

 

映画「火葬人」(1968,チェコスロバキア)~全体主義のおそろしさ

チェコ映画傑作選がヒューマントラスト渋谷で上映されており、日本初公開となる「火葬人」を観に行った。

本作は、第二次世界大戦前夜のチェコ・プラハが舞台。ナチスによる掌握が目前に迫った1930年代後半を背景に、キリスト教圏ではまだ珍しかった火葬場で働く主人公。彼はチベット仏教を信仰し、家族を愛するごく普通の男性である。

しかし、ナチスの思想に触れたことで、彼の信仰は歪み始める。チベット仏教の輪廻転生の教えを曲解し、ユダヤ人の殺害を「救い」であると信じ込むようになり、やがて淡々と殺害を繰り返していく。さらに、火葬は土葬よりも輪廻転生のサイクルを早めるとして優れた行為だと考え、殺害と火葬を仏陀による救済として正当化していく。

劇中では、火葬炉がやがて強制収容所の焼却施設へと連想されていく描写もあり、その不穏さが不気味だった。

ブラックユーモアを入れながら、人間の信念がいかに簡単に暴走するかを描いた作品。また主人公の変化は、単なる狂気ではなく、全体主義というイデオロギーが個人の倫理や信仰を侵食していく過程そのものでもある。ここが一番おそろしい。

本作は1969年に製作されるも公開後まもなく、上映禁止処分を受け1990年まで封印される。当時の共産党体制の批判的な視点が問題視されたという。プラハの春が1968年なので、ギリギリのタイミングで公開できたけれど、すぐに封印されてしまったということなのだろう。

これまで観た映画には無い異色の作品だった。

eiga.com

 

czechfilms.jp

 

「イン・ザ・メガチャーチ」&「地獄に堕ちるわよ」~操られる幸福について

本屋大賞受賞作品「イン・ザ・メガチャーチ」は、「神がいなくても、人は物語で動かせる」という、推し活の功罪を描いた作品である。


推し活経済は、孤独や生きづらさを抱える人々をターゲットに、緻密に構造化されていることを客観的に認識させられた。推し活の楽しさや感動さえも、企業戦略の一部だとしたらと考えさせられる。

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映画:ナイトフラワー

森田望智さんが好きで鑑賞。
「ナイトフラワー」は、一晩だけ美しく咲く「月下美人」を指す。儚いナイトフラワーは、作中で度々出てくる「楽園」という幻想と重なり合う。薬の売人となった主人公(夏希)が扱う「薬」が生み出す幻想ともつながる。


ボクサーの多摩恵は、子ども時代に親を失い、一人で生きてきた。無骨な格闘家として描かれているが、強くなければならないと誰にも頼らず生きてきたというのが伝わってきた。だからこそ、「家族になって」と言われた時、後戻り出来ない世界だとわかっていても、どんなに周りに止められても、その道を選ぶ。


多摩恵は無骨で大雑把なように見えるが、人のしんどい心を軽くする、押しつけがましくない優しさと繊細さを併せ持っている。その優しさに、大人も子どもも、心が救われる。社会から疎外されながらも、人間としての尊厳を持ち続ける強さがある。その姿を森田望智さんが素晴らしく体現していた。

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親友の定義

数日前のこと、「親友の定義って何かな」と聞かれた。


「友達の定義って何?」という会話は、まあまあ聞くけれど、「親友」となると、より定義は狭くなる。相手もそう思っているかを確認するものでもないし、恋愛と違って確かめる手法もないから、わかりにくいものだ。しかしながら、親友は時に恋愛よりも強固であり、血縁の家族に匹敵するほどの関係になることもあると思う。


「親友」という言葉を聞くと、思い浮かぶ人がいる。今はそんなに頻繁に会えているわけじゃないけれど。人に悩みを相談するのが苦手な私でも、あの人にならSOSを出せるかもしれないと思える人。私にとって、そんな人は本当に少ない。そして、意外にも年下なのだ。

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映画「プラハの春 不屈のラジオ報道」

言論・報道の自由、ジャーナリズムの使命を描いた作品。一昨日の東京での上映最終回に、ぎりぎり間に合った。


1968年のチェコスロバキアで起きた民主化運動「プラハの春」を題材にしていて、ストーリーは実話をベースにしている。政府の検閲に抵抗し、真実を伝えようと戦うラジオ局員たちの使命感に感動すると同時に、正直心が重たくなる気持ちもあった。
もし自分の家族が人質にとられたら、それでも抵抗し続けられるか。主人公の葛藤を通して、いろいろ考えさせられる映画だった。また、「こうやって情報は操作されていくのか」という現実も伝わってきて、その怖さも印象に残った。


プラハの春は数カ月で武力によって鎮圧されてしまう。「負けた歴史」ではあるけれど、「抑え込まれても残り続けた意志」の話でもあるわけで。この精神があったからこそ、後のビロード革命が生まれたのだと。


日本に置き換えた時、私たちはこの精神を持てるのだろうか。

映画「存在の耐えられない軽さ」(1988)

1968年の「プラハの春」を背景に、男女の関係を通して、人生における「選択の重さと軽さ」を描いた作品。人生は一度きりなのか。それとも、永遠に繰り返されるものだとしたら?


そう考えたとき、前者と後者では人生の選択は変わってくるのではないか。
登場する男女4人。個人的に、本作を最も象徴しているのは「軽さ」を貫いたサビナだと感じた。多くの人が「重さ」を選ぶ中で、「軽さ」を貫くサビナの生き方は考えさせられるのだ。

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