傍楽 - Kaori's Blog

「働く」とは「傍(近くにいる人)」が「楽(らく)」になること。日々の仕事を通じて社会に貢献する、社会事業家・活動家から感じたことを綴っていきます。

NHKスペシャル “駅の子”の闘い ~語り始めた戦争孤児~を見て

NHKスペシャル“駅の子”の闘い ~語り始めた戦争孤児~を見た。

戦争の被災者で最も弱者である子どもたちが 駅で寝泊りし、「浮浪児」という蔑称で呼ばれ、とてつもなく大きな差別を受けていたという事実。誰ひとり「大丈夫?」と声をかけてくれる人はいなかったという【無関心さ】から、駅の子を治安を乱す存在として【嫌悪】に変わるその様は、現在の貧困問題、ホームレス問題にも重なってくる。

保護するべき弱者の子どもを狩り込み(いわゆる強制収容)する警察の行動は、過去あった「治安維持」という名のホームレスの狩りこみ、焼き討ち、現在の強制排除とも通じる。国による「治安維持」を理由にした弱者の強制排除が、この日本で子供にまであったのかということが衝撃だった。

www6.nhk.or.jp

空襲などで親を亡くした戦争孤児は12万人にも及び、孤児が駅で寝泊まりする姿は全国で目撃され「駅の子」と呼ばれたが、その実態はあまり調査されてこなかったようだ。NHKが3年間かけて孤児への聞き取りや資料発掘をおこない、この番組ができたようだが、戦争孤児が置かれていた環境は想像を超えるものだった。

昭和21年。私の両親が生まれたのが昭和25年だから、そのほんの少し前の出来事とは思えない。当時の日本は、失業者や引揚者の対応に追われていたという背景は理解するが、『戦争が終わってからが本当の闘いだ』というこの事実はあまりにショックだった。

いくつか本を読んでみよう。

目の前に倒れている人がいても助けられない心理

 本当に毎日暑い。こうも暑いと当然のことながら、通勤ラッシュや帰宅途中に具合が悪くなる人を見かけるケースも増えてきたように思う。

私は倒れてる人(うずくまっている人)を見かけたら、声をかけるようにしている。

しかしながら、その前を通り過ぎていく人がほとんどだ。

 

 先日、フローレンスで働く尊敬する友人と久しぶりに東中野で食事をして、いろいろな話をした。彼女は、いつも私の三歩くらい先の視点をもっていて、大切な気づきを与えてくれる。

東中野駅は、2年間に渡り監禁されていた埼玉県朝霞市の女子中学生が脱出し助けを求めて保護された駅なのだそうだ。助かって本当に良かった。命からがら逃げてきて、やっと助けを求めたところでも、助けてもらえないことも、このご時世不思議ではないから。

 そんな話をしていると、彼女が「この暑さって路上生活者には本当に厳しいだろうね。大丈夫なのかな?」と言った。確かに、これまでは1年の中で冬の凍死が一番心配だったけれど、この暑さが毎年となると夏も相当厳しいのではないか。

そして、うずくまっている路上生活者の前も、多くの人が普通に通りすぎていく。

 すると「私、男性にはなるべく声かけるようにしてるんだ」と彼女が言った。

理由は、男性が倒れていると、「酔っ払いだろう」とか「男だから大丈夫だろう」などと自己責任で片付けられ、声すらかけられないことが多いからだと言う。

確かに、私も男性よりも女性に声をかけることが多い。どこかで「飲みすぎかな」とか「まあ、大丈夫かな」とか思ってスルーしているのだということに、はっと気づかされた。

 

 本来、目の前に人が倒れたいたら(うずくまっていたら)、その(具合が悪くなった)理由なんかは関係なく(わからないし)、その事象だけを見て助けるべきなのではないだろうか。 それを、何かと理由をつけて助けられない人が多いのだ。

 

 この延長線上に、日本人の、路上生活者や難民問題への関心のなさがあるのではないかと感じる。かたい言い方をすると、社会全体としての人権意識の欠如と言えるのではないだろうか。


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TENOHASIの会報誌37号が届きました!~手厚い支援が必要な人ほど劣等処遇になっている~

 路上生活者支援をしている「TENOHASI」の会報誌が届きました。

tenohasi.org

 

2018年総会報告として、炊き出しに並ぶ人数がやっと200人を切ったとの報告がありました。2005年から記録を取り始めてから、200人を切ったのは初めてとのことです。支援者の方々の地道な努力の結果だと思います。ちなみに、リーマンショックの時は300人を超えていたようです。

 

ページをめくっていると、『「船橋はいいところだよ」 追悼 ますっち』という特集がありました。これは、TENOHASIのベテラン支援者(わたしも知っている方です)が、元路上生活者(ますっち)との出逢いからお別れまでのストーリーを5ページにも渡って綴っているものでした。彼の文章は愛情に溢れ、とても心に染み入りました。

 

「ハウジングファースト」は路上生活者を福祉に近づける

ますっちは「路上から直接アパートへ」というハウジングファースト型の支援をした一人目の方なのだそうです。路上生活者支援の課題として、首都圏で路上から生活保護を申請すると、劣悪な環境の施設(集団生活)に入れられて、そこで数か月耐えてやっとアパートに入居できるという現状があります。路上生活者の中には障害をもった方も少なくなく、この環境に耐えられずたくさんの人が逃げてしまうのです。ますっちも、過去何度も逃げてしまったそうです。

 

comriap.hatenablog.co

ところが、TENOHASIが心ある大家さんとアパート契約を先にすませ、その後生活保護を申請すると、あっさり「路上→アパート入居」が認められたそうです。これで、ますっちは、アパートに入居することになります。(これが、ハウジングファースト!)

でも、アパート生活になったからといって、ますっちが抱える本質的な問題が解決するわけではありません。

ますっちは軽度の知的障害があったそうです。前述の通り、路上生活者には障害をもった方が多く、福祉につながりにくいという問題があります。ただ、ますっちは支援にはつながっており、40歳くらいまで制度を利用しながらご家族と暮らしていたそうです。ただ、その後交通事故に遭い、頭や脚にも障害が残ってしまったといいます。

また、工場で働いていたときに悪い同僚がいて、お酒・ギャンブル・シンナーを教わって歯止めが利かなくなり、家族といろいろあって、家を出て路上生活に入ったようで、彼が初めてますっちに会ったときは、50代半ばだったそうです。

アパート暮らしになって、安心して暮らしたのかなと思いきや、アパートの大家さんのお話によると、一人暮らしがつらかったようです。寂しいというのと、掃除やゴミ出しで注意されることや隣人への気遣いなどがあったみたいです。繊細な方だったんですね。それから、アパートから、いなくなっては戻ってくることを何回も繰り返し、1年くらいでそのアパートを退去します。

でも、そんな中、支えになったのが、元路上生活者の仲間だったようです。

アパートを退去したあとも、彼とますっちとの関わりは切れることなく、路上とグループホームをいったりきたりしたあとに、べてぶくろのグループホームに入り、そこから再びアパート生活にチャレンジします。(べてぶくろとは、当事者研究を発明した浦河べてるの家の池袋支部です)

 

www.bethelbukuro.jp

 

 

何度でも戻ってこれる場所
ハウジングファーストには「何回失敗してもまた家を用意するし、何回でも支援する」というポリシーがあるそうです。
しかしながら、実際のところは、「もうダメだ」と思うことが何度もあったといいます。

でも、その度に、ますっちは戻ってきて、みんなも「おかえりなさい」と迎え入れる。そして、また支援を始められる関係性があるんですね。TENOHASIの支援は、人権(存在の支援)をとても大切にされているのではないでしょうか。

会報誌の中で、大変印象に残っている部分があります。

映画が好きだということでオールナイトに2度付き合いました。家のある感覚を取り戻してほしくて何度も旅行に行きました。その頃は多くのボランティアが連携して支援する形でしたが、重い人ほど人手とお金が必要です。ところが、そういう人ほど福祉的には劣等処遇になっていく。

社会的包摂が大事だと言いますが、依存症の方は支援側から見えないネットワークに既につながっています。お酒や薬をおごってくれる人やカツアゲする相手です。そんなネットワークでも孤立よりは良いのだと言いたい気もしますが、それなら被害者のケアもしなければならない。(TENOHASI会報誌『「船橋はいいところだよ」 追悼 ますっち』より)

示唆に富む内容です。依存症に限らないのかもしれませんが、支援側から見えないネットワークというのは、支援者にとってとても手強いのではと思います。

以前、パノラマの石井さんが座間市死体遺棄事件から、以下のようなことを書かれていました。

弱った者を自分に依存させることは容易い。そして、依存されていない他者が、その依存を解くことは非常に難しい

人間は弱ってしまうと「あっという間に」悪い仲間に依存してしまうのだろうと思います。
そして、それは例え家族であっても、依存されていない人がその依存を解くことは難しいし、それが良いこととも限らないのだろうと思います。
『悪い仲間であっても「孤立よりはいい」』と思うのは人間の本能なのかもしれません。

note.mu

また、重い人ほど人手とお金が必要なのに、現状はそういう人ほど福祉的サポートを受けられていないというのも考えさえられます。ますっちを見てもそうですが、重い人ほどケースも多様で、「仕組み」にはまりにくいので、成功のモデルケースをつくるというのは難しいのではないかと思います。そうなると、ビジネスモデルをつくる(事業化)というのもなかなか難しいと思います。つまり、

重い人ほどKPIを設定するのはむつかしく、生産性を軸にした「成果」からは遠くなるため、お金がつかない

という問題です。エビデンスはしっかり集めていて調査レポートを出したり、政策提言をしていてもです。もちろん、KPIを設定し見せる努力は必要ですが、それ以前に、それができなかったとしても、彼らが路上で生活していることを正当化できることにはならないはずです。無条件に支援が受けられるべきであり、人権は守られるべきです。

 

横連携の重要さ

ますっちは、孤独に耐えられずTENOHASIのアパートからは出てしまいましたが、TENOHASIとつながりのある「べてぶくろ」のグループホームにつながり、当事者研究で困難を乗り越えながら、アパート入居に再チャレンジします。より合ったサポートを受けらるようになったのではないでしょうか。

ここから感じるのは、現場支援者同志の横連携の重要さです。

社会問題は複雑化且つ多様化し、ひとつの団体では解決できないことが増えてきていると感じます。それに対応していくには、現場支援者同志のネットワークが強化される必要があると感じました。

たとえば、ホームレス支援団体の支援者と児童養護施設退所者の支援者のつながりなども必要だと思います。

 

最後に、、TENOHASIは、今年度経営が厳しいようなので、寄付をぜひよろしくお願いいたしますm(__)m

tenohasi.org

 

 

「貧困という体験」が人に何をもたらすのか~他者に厳しい社会になった理由を考える~

他者に厳しい社会。弱者が弱者を叩く社会。これは、弱い社会の象徴である。まさに「分断社会」。しかし、彼らはなぜ叩くのか。それには、きっと理由がある。

 

先日の放送大学で聴いた神戸大学大学院の西澤 晃彦教授による「貧困と社会:貧困という体験~貧者のアイデンティティ~」にて、以下のような説明があった。

放送大学 授業科目案内 貧困と社会('15)

 

この弱者が弱者を叩く社会背景には、社会があまりにも「経済的自立」にこだわり、依存を敵視するようになったことが要因のひとつにあり、これにより、「貧」に対する社会の見方が変わってきたようだ。

●貧困の忘却~「豊かな社会」の陥穽(かんせい)~

貧困状態としての敗戦直後から、「総中流の神話」へ。その過程を通じ、貧困は積極的に忘却され無意識へと沈められていった。

 

●貧困の犯罪化~新自由主義の刻印~

高度経済成長後、忘却は攻撃へと転回する。「生活保護の不正受給」をめぐる議論の変遷と政府の対応                                     (放送大学シラバスより)

経済的に自立できないことが、能力の欠如と怠惰だと結び付けられるようになった。そして、皮肉なことに、貧者ほど、それを「なめらかに」受け入れる。そして、それが自分自身の強い自己否定となり、結果自分自身を排除するようになる。だから、生活保護などの社会保障制度を利用したがらない。「自身の排除」は福祉から遠ざけるのだ。これは、ホームレス問題とも深く関わっている。

 

そのような状況の中で、なんとか自分のアイデンティティ・自尊心を保とうとするための行為が、「他者の依存への批判」だという。

 

自分より劣っている「あいつら」を常に探し、劣っている「あいつら」の依存を批判することで、自分を保つ。「あいつら」がいなくては自己を見失う、「あいつら」なしでは、自分のアイデンティティが維持できないのだ。

 

つまり

貧困体験によって、関係性とアイデンティティが確立できないことが、貧困体験の中核的要素と言える

と西澤教授は指摘する。

 

このシリーズは全部聴講したかった。おもしろかったです。

 

こちらの本もオススメです。

分断社会を終わらせる:「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)

分断社会を終わらせる:「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)

 

 

 

「生産性」の発言について思うこと。

 

人間と向き合う時に使うのは不適切な言葉

杉田議員の「生産性が無い」という発言を聞いて、なんだかな~と思っていた時に、丁度茂木健一郎さんのブログを目にしました。

lineblog.me
茂木さんが指摘されているように、「生産性」という言葉を人間と向き合う時に使うのは不適切だと思います。

「「生産性」というのは、ある文脈の中で定義される。そして、世の中にはたくさんの文脈があり、それをあらかじめ尽くすことはできない。だから、ある人間に向き合うときに、特定の文脈の「生産性」でその人を評価するのは、ごく控えめに言っても部分的な切り取りに過ぎない。トリビアルな誤謬である」

「人を、その存在自体が尊いとして、特定の「生産性」で切り取ったり評価したりしないというのは当たり前の話で、なぜならば人間存在をすべて尽くせる文脈などないからだ」

一億総活躍の名のもと叫ばれている、高齢者、障害者、外国人、女性の活躍も、その真の目的は「経済効果(生産性)」であり「多様性の尊重」ではないと、私はこれまでも言ってきました。今回の杉田議員の発言は、それが露呈したのではないでしょうか。

 

社会的インパクト評価から考える「生産性」

 少し話しは脱線しますが、この「生産性」の議論への違和感は、今回の問題だけでなく、ソーシャルセクターの現場での成果指標や社会的インパクト評価での議論を聞いていても、同じことを感じることがあります。

貧困問題に取り組んでいる某団体の代表の方が、昨今注目されている社会課題解決の取り組みの成果(社会的インパクト評価など)は、【人間の生きる時間を無視している】と強く指摘されていたことがとても印象に残っています。例えば、

 

「20年ひきこもっていた人が、何かをきっかけに、長い時間はかかったけれど、社会参加をするようになった。」

「これまで毎日死ぬことを願っていた人が、何かをきっかけに、生きてみてもいいかなと思うようになる。」

 

これは極端な例かもしれませんが、この奇跡のような変化を、経済に貢献していないといって、生産性が無いといえるのでしょうか

多くの人がいろいろな貢献をすることで、文明はつくられる。みんな相互依存していて、パス回しをしている。だから、特定の人の「生産性」を云々すること自体が愚かな態度だ。みんな支え合って、貢献しあっている

 

彼らの(私たちの)「きっかけ」が訪れるタイミングは、その人の生きる時間によって異なります。そのタイミングをKPIという言葉で測ることには抵抗があります。(もちろん、ものさしを作る努力は必要です)

問題解決そのものをKPIを使った指標で測ろうとすると、処遇の支援に徹してしまい、相談そのもの(存在の支援)が見えなくなってくるという代表の方の意見には賛同します。

例えば、ホームレス問題でいうと、「人はいつか変わる(いいホームレス)」と「人は変わらなくても生きる(悪いホームレス)」という分断を生んでしまうそうです。

 

 人権とは

彼ら(私たち)の「生きる時間」を尊重することが、人権意識(無条件に存在そのものを肯定)なのではないでしょうか。そして、今劣化していると言われる支援の現場に必要なことの一つなのではないかと感じました。(部外者が言うのはためらわれますが、敢えて書かせていただきます)

ここをどう評価するか、ということを社会的インパクト評価でも議論して欲しいと思います。

政治家が反知性主義に走るのは洋の東西を問わず、最悪の意味でのポピュリズムである。確かに、ベスト・アンド・ブライテストの叡智は、必ずしも票を集めるとは限らない。それでも、生産性についての稚拙な議論は、政治的に害があることはもちろん、その論理的脆弱性において、恥ずべきことだろう。

 

「ホームレス」は路上に放置された障害者の問題~ハウジングファーストという逆転の発想から生まれた支援モデル~


 今週は、ホームレス問題に取り組む「TENOHASI」代表理事の清野賢司さんのお話をお聞きする機会がありました。

tenohasi.org


 清野さんは、都内中学校の社会科の教員をしながらTENOHASIの代表理事兼事務局長として活動されていましたが、昨年退職しTENOHASIの活動に専念されています。

清野さんがTENOHASIに携わったきっかけは、中学生によるホームレス暴行死事件。社会科の教員として、これまでホームレス問題を扱ったことがなかったことに気づき、そこで、2004年に総合学習で「ホームレス」問題の授業をおこない、TENOHASIと出会ったということでした。

 

「ホームレスは差別してもいいと思われている」

 清野さんは、路上生活者は、多くの人から「ホームレスは差別してもいいと思われている」と言います。

差別していると気づきながらも、それでいいと思っている人がたくさんいる。
ホームレス問題こそ、差別問題の最前線だ」であると。そもそも、「ホームレス」という言葉も蔑称でありながら、今もまだ普通に使い続けられている。

  私自身も、立教大学院に入るまで無意識的にそう思っていたと思います。日々の生活の中で、路上生活者は視界に入ってこなかった。でも、ある学校の帰りの日、ある先生が「あのおばあさん、いつもあそこにいるのよね」と言った一言で、こんなにも路上生活をしている人がいることに気づいた。そして、1人の路上生活者を追ったドキュメンタリー「あしがらさん」を見て、自分の偏見・差別を認識したときの衝撃。差別していることが普通になると、自分では差別しているという認識すらもてなくなることに気づきました。

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路上生活者の6割が何かしらの障害を持っている

 清野さんは、活動を続ける中で、路上生活者の中に障害者(精神障害、軽度の知的障害)が多いことに気づいたそうです。
TENOHASIは路上生活者164人に対して調査をおこないましたが、その結果、精神疾患41%、知的機能の障害34%ということがわかったそうです。

tenohasi.org

 家族や学校が障害を正しく理解せず適切な対応をしなかったため、障害手帳をもたず社会に出る。当然、社会に出てもうまくいかず孤立しがちになる。その結果、アルコール依存症やギャンブル依存症などの二次障害までに発展してしまう。社会復帰がむつかしくなるという負のスパイラルに入ってしまう。

 

生活保護が「保護」になっていないという問題
 どんなに貧困になっても、我が国には生活保護というセーフティーネットがあります。しかしながら、生活保護の申請を受ける福祉事務所は、住むところが定まった状態で保護する義務があります。そのため、いわゆる「貧困ビジネス」と言われるような民間の劣悪な環境の宿泊施設に泊まるように指示する場合が多いというのが現状のようです。

tenohasi.org

多くは相部屋で、飲酒は禁止・門限など規則も厳しいようですが、生活保護費のほとんどを利用料として搾取され手元に残るのは月1~2万円のようです。何十人単位での集団生活、ひどいところは、6畳に大人2人が寝るとか、全く安心して生活できる場でないというひどい環境。特に障害がある人への配慮はなく、本当につらい生活だと思います。障害のある人はいじめの対象になることも多く、施設から飛び出し路上に戻ってしまうことが少なくないそうです。生活保護が「保護」になっていないとうのは、本当に深刻な問題だと思います。

  なぜ「ホームレス」はせっかく「入れてもらった」寮から逃げ出すのか?

こういう路上生活者への批判はよくあると思いますが、この理由がよくわかりました。

また、貧困ビジネスは、一見(HPなどを見ると)、実に社会的企業に見えます。素人には良い施設に見えるでしょう。でも、いろいろ検索していたら、以下のようなサイトがありましたので、ご参考までに。。

www.tanteifile.com

 ※貧困ビジネス。この寮だけで、年間1憶2千万円もの運営費が税金から使われているとのこと。

 

ハウジングファーストという逆転の発想から生まれた支援

  このような状況にいる路上生活者のために生まれた支援プログラムが「ハウジングファースト」です。ハウジングファーストとは、支援団体や行政が「家に住むことの可否」を判断し、「可」となって初めて支援が受けられるという従来の支援モデルとは逆の発想です。住まいは人権という考えから、家は無条件で提供し、本人が抱えている問題(依存症など)についても、本人が自己決定することを尊重していることが特徴です。

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世界の医療団HPから

 日本では、路上生活者が生活保護を受けアパートで暮らすということに対して、そもそも1人で暮らすということが難しいと決めつけられ、準備期間が必要であるという考えのもと寮などの集団生活から始めることが主流ですが、前述の通り、これにより、路上生活者が路上から抜け出せなくなっているという問題があります。ハウジングファーストはこの従来の支援モデルを逆転させ、路上から先ず抜け出させるということと、規則で縛らない・本人の問題を支援者が判断しないということが、従来の支援モデルと大きく異なっていると感じました。

「ハウジングファースト」とは、住まいを失った人々の支援において、安心して暮らせる住まいを確保することを最優先とする考え方のことです。 1990年代にアメリカで始まったハウジングファースト方式のホームレス支援は、欧米のホームレス支援の現場では一般的になりつつあり、重度の精神障がいを抱えるホームレスの方の支援でも有効であることが実証されています。

首都圏で行われている従来のホームレス支援では、「ホームレス状態にある人々、特に精神や知的の障がいを持つ人が地域生活を送ることは難しく、居宅に住むための準備期間が必要である」という考え方のもと、一定期間、施設などでの集団生活を経たのちアパート入居をめざす、というステップアップ方式が採用されてきました。しかし実際には、アパートに向けての「階段」をのぼっていく過程において、多くの人がドロップアウトしてしまい、路上生活に戻ってしまうことが問題視されるようになりました。

ハウジングファースト型の支援では、ホームレス状態にある人々に対して無条件でアパートを提供し、精神科医、看護師、ソーシャルワーカー、ピアワーカーなど多職種からなるチームと地域が連携して、その人を支えていくという手法が採られています。調査の結果、ハウジングファースト型支援によって社会的なコストが削減できることも判明しています。(世界の医療団HPより)

アメリカでは社会的インパクト(コスト削減)も証明されているようです。

diamond.jp

 清野さんからご紹介いただいた、以下の動画が良かったです。これを見た先輩が、人は「鍵のついた家」に安心感を得ると話していました。安心した鍵のある家が先ずあることで、福祉も就労支援も効果が出るのではないでしょうか。

 

「ハウジング・ファースト フィラデルフィアにおける成功の記録」

www.youtube.com

 

劣化する支援@東京に参加して考えたこと~代表理事の経営哲学が支援の質を左右する~

GW初日は、劣化する支援5@東京is burning!/批評の中間支援に参加。これは、一般社団法人officeドーナツトーク代表の田中さんが、以前より問題提起されているNPOの支援の劣化について議論する勉強会。田中さんのほかに、NPO法人パノラマ代表の石井さん、静岡県大・津冨宏先生がゲストでした。私は途中参加でしたが、その感想を書きたいと思います。

 

社会起業家やソーシャルビジネスに憧れる若者世代の登場 

 東日本大震災で、ソーシャルビジネスや社会起業家がヒーロー的存在になり、中流家庭出身の学生・若者が、有力な就職先のひとつとして、NPOなどのソーシャルセクターに就職することも珍しくなくなってきました。

しかしながら、当時は災害支援が多かったけれど、最近は日本の貧困問題に予算がつくようになったこともあり、子どもの貧困を中心に貧困がブームになり、他の分野で活動していたNPOが自社の事業活動を貧困問題にまで広げてくることが増えてきました。これが、支援が劣化してきた大きな要因であると認識しています。

 

「貧困コア層」と「おしゃれNPO」の絶対的な断絶

 「貧困コア層」(下流貧困層)は「おしゃれNPO」に属するような中流層の若者たちとは絶対的に距離を置くそうです。この断絶は、'ひねくれ'や'あまのじゃく'的な距離ではなく、【絶対的な断絶】だと、田中さんは指摘します。喧嘩して拒否するといった感情的なものではなく、関わること自体を拒否するそうです。そもそも「おしゃれNPO」の活動に関心が無く、「活動はどうぞお好きに、私には関係ないことだ」というスタンスで自衛している、というような状況だと認識しています。

この【絶対的な断絶】は、どこから生まれるのでしょう。それは、中流層の「おしゃれNPO」支援者の無邪気で明るい言葉に表れる『感受性の鈍さ』であり、その『感受性の鈍さ』は貧困コア層にとっては暴力であり、それが断絶を生んでいると田中さんは言います。

「努力すればいつかは報われる、いつかはつながれる。学習支援も受けていくと、いつかはそれなりの幸せが訪れる」

という無邪気な言葉の暴力が貧困コア層の若者を傷つけ、「ああ、この人たちには、自分たちは絶対的にわかっていない」と身をもって知り、一方「おしゃれNPO」支援者たちは、自分たちが拒否されていることにすら気づいていなく、そこから断絶が生まれていると田中さんは指摘します。

下流には下流なりの幸せがあり、一瞬の微笑みは毎日訪れる。けれどもその幸せや笑みは、決してミドルクラスのソーシャルな若者たちが無邪気に描くことのできる笑みではない。
それは、虐待サバイバーの笑みであり、相対的貧困のなかでの笑みなのだ。常にどこかで負い目や物足りなさや怒りや諦めを抱く(思春期的痛みではない)諦めの中の笑みだ。 

tanakatosihide.hatenablog.com

 

社会の変化に合わせて団体ミッションを変える時代
 貧困問題に代表されるように、社会問題は、ざっくり5年くらいの周期で変化していくと言われています。それは、NPO団体としてのミッションも時代にあわせて変化させていく必要があるということでもあります。時代に合わせてミッションを変えていくという柔軟性は大きい団体には難しく、つまり、大きい団体による貧困コア層への支援はむつかしいのではという議論がありました。ではどうしたら良いか?

小さく良質な組織を全国にたくさんつくり、プロジェクト別に個々に協業していく

というお話はなるほどと思いました。しかし、これを実現させるには、

イデア・発信力など代表理事の力量が問われます。小さい組織の代表理事を社会で育成していく必があるということです。

 

 代表理事の経営哲学が支援の質を左右する

 では、中流家庭以上で育った支援者は、貧困問題の現場で支援者として取り組むことは出来ないのかというと、そういうことでもないようです。現に、中流家庭出身の方が貧困コア層の学生が集まる学校の中で支援者として活躍されています。そこで私は、「おしゃれNPO」と「本来のNPO」の違いは、代表理事に経営哲学があるか否かではないだろうかと考えました。他の人もこうあるべきだというわけではなく、「自分の哲学」があるかどうか。それがないと、団体の方向性がぶれたり、何かがあったときに判断する軸(心の拠り所)がないため経営がぶれていく可能性があるのだと思います。


 最後に、勉強会終了後の懇親会では、支援者・元支援者の方もたくさんご参加されていて、色々お話をお聞きすることができました。彼・彼女らの愛憎まじる団体批判も、まさに上記のような哲学が無かったことに起因しているように感じました。個人的には、団体・業界にがっかりして辞めていった元支援者の方々の辛口コメントの中には、今もまだ団体・業界への「愛」があり、その「愛」が予想以上に大きかったことが印象に残っています。