日本で初めて高校内居場所カフェを導入した大阪府立西成高校 山田勝治校長
感想
多様な子どもを受け入れる学校には、その学校にマッチした「アプリ」のインストールが必要であり、そのひとつが学校と外部との連携だということを知った。その成功事例が、大阪府立西成高校とofficeドーナツトークが連携した高校内居場所カフェ事業「となりカフェ」。
となりカフェの強みは【つぶやきを相談に変える】ことができる点。
SOSを出しにくい(言語化しにくい/相談しにくい)生徒は、相談はできなくても、つぶやいている。この「つぶやき」を相談に変えることができるのが高校内居場所カフェの一番の強みである。これは、サードプレイスである「となりカフェ」がセカンドプレイスである「学校」の中にあることの優位性を示しているとも言える。
西成高校の取り組みのエッセンスは
- 高校を辞めさせない
- インクルーシブ教育
であり排除しないということを大事にされている。
この2つをさらに進めていくには、高校がこれまで置き去りにしていた 「子どもの声を聞く」ということを真剣にやっていかなくてはいけないというお話からも、officeドーナツトークとの連携に効果を感じられているのだと思った。
講演レポート
そもそも「学校」とは何か?
学校を変えるということを20年間ミッションとして取り組まれていた山田校長。
「私たち一人ひとりの経験の内側にある学校を吟味し、人生における学校の意味や価値を具体的に問い直して、私たちの希求する学校のイメージを探索する】」(佐藤学)
このことを求めていった先に、今の西成高校のスタイルがあるそうです。
「学校」とは大きく分けると、以下から構成されているというお話がありました。
- 学校の制度(入試制度、授業料など)
- 施設
- 教職員 (の考え方)
- 教育方針
この中で変えられるものと変えられないものがあり、校長先生という立場で変えられる可能性があるのは「教育方針」と「教職員の考え方」。
学校をPCで例えると、ハードは「施設」や「制度」を指し、OSが「教育方針」や「教職員の考え方や想い」 になる。しかしながら、ハードとOSだけではPCは動かなくソフト(アプリ)が必要になる。
学校もPCと同様で、様々なアプリケーションが入ることで、初めて学校という制度の中で、多様な子どもたちを受け入れて何かができると考えた。
そのような時に、officeドーナツトークの田中さんと出逢い、高校内居場所カフェ事業の構想を聞き、これは西成高校に必要なアプリケーションだと、箱を変えずに学校が変えられるやり方のひとつだと考え即決されたそうです。
「となりカフェ」が学校内にある意義
こうして、西成高校内に居場所カフェ「となりカフェ」が開設されたそうです。当初の計画では、カフェは学校外になる予定だったそうですが、子どもたちを学校外に誘導していくのは難しいので学校内でやることになったそうです。そして、この学校の中にあることの優位性を現在はすごく感じるようになったとおっしゃっていました。
山田校長は、SOSを出しにくい、相談ができない生徒の「つぶやき」(学級内カーストへの違和感、虐待、経済的搾取、学習不適応等)が自然に入ってくるような体制をつくりたいとお考えになっており、この「つぶやき」を相談に変えることが出来るのが「となりカフェ」になったとのことです。この「つぶやき」が、カフェの中で一番大事なものになるとおっしゃっていました。
居場所カフェは教員と生徒の関係を変える
また、居場所カフェは、教員にとっても必要だとおっしゃっていました。たとえば、教員にとって、どうしても「共感しやすい生徒」と「共感しにくい生徒」がいて、一番教員にとってわかりやすい生徒は「困難を抱えているけどがんばっている生徒」で、「ふてくされている生徒」とは関係性の構築も難しかったりするので、生徒のことをなかなか理解しにくいと。そういう中、どう理解していくのか?という課題があったそうですが、居場所カフェのスタッフが教員が知らない生徒の本音を聞くことで、教員と生徒の関係性もまた変わってくることがある、そういった意味でも、高校の中に居場所カフェがある意義があるとおっしゃってていました。
居場所カフェは、高校の中において、「いかなる外界・世俗の権力の及ばぬ地」とされているとのことです。具体的には、教員も、「居場所カフェで生徒指導しない」というルールのもと、なるべくカフェには入らないようにしているとのこと。理由は、真面目な教員は、気づいたら指導したくなってしまうからということでした。
西成高校は「今できることを逃したくない」という想いから、学校の取り組みのエッセンスとして、以下を大事にされているそうです。
- 高校を辞めさせない
- インクルーシブ教育
この2つを今後さらに進めていくには、
これまで高校が置き去りにしていた、「子どもの声を聞く」ということを真剣にやっていかなくてはいけない
という言葉が印象に残っています。