傍楽 ~未来をつくる仕事をしよう~

「働く」とは「傍(近くにいる人)」が「楽(らく)」になること。日々の仕事を通じて社会に貢献する、社会事業家・活動家から感じたことを綴っていきます。

"働く母"は歓迎されるのに、"高校生マザーズ"が排除されるのはなぜか。

日本の10代妊娠・出産に対する対応は遅れていると言われていて、妊娠後に伴う退学の多さ(退学するように誘導される)や、社会全体の生命倫理観の欠如に田中さんは言及されてます。(下記記事参照)

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 働く女性は守られる(働き続けられる)ようになってきたけれど、「高校生マザーズ」は学ぶこと(教育)からも働くこと(就労)からも遠ざかりやすい。
また、働く女性が妊娠したら祝福されるけれど、高校生が妊娠するとその「命の誕生」そのものが尊重されない傾向にあるのは何故かと考えたときに生命倫理観の欠如という言葉はキツイけれど、そうしか言いようがないようにも思う。

 

妊娠(命の誕生)の祝福は、その人が抱える背景やこれから待ち受ける障壁とは別次元のものであるはずだと私は認識しているけれど、
それを同じ次元で考えてしまう(良い妊娠と良くない妊娠を判断する)ことが生命倫理観の欠如ではないだろうかと考えました。
その後出産を選ばない選択になっても、先ずは祝福があったことで当事者も赤ちゃんも救われる部分が少なからずあるのではないでしょうか。

また、この生命倫理観の欠如は、「高校生マザーズ」に対しては顕著にあらわれるのかもしれないけれど、実は表面化していないだけで社会全体にあるのではと感じる瞬間があります。
たとえば、知人(その家族)の妊娠したという状況を心から祝福するということに無関心な人だったり、(このご時世に子沢山は)大変だと同情気味におめでとうと言う人だったり、おめでとうというよりは少子化対策として偉いというニュアンスだったり、純粋な祝福の言葉にどうしてらならないんだろうと思う瞬間があったりするわけで。
まあ、そういう受け答えもあるのだろうと深く考えなければそのままスルーしてしまいそうなこれらの言動も、よくよく考えると、最近は妊婦さんが席を譲ってもらえないという"あるある話"にもつながってきて、根本には社会全体の生命倫理観の欠如があるのかもしれないなあと思うと、少子化のそもそもの要因って、ここなんじゃない?と思うわけです。