傍楽 - Kaori's Blog

「働く」とは「傍(近くにいる人)」が「楽(らく)」になること。日々の仕事を通じて社会に貢献する、社会事業家・活動家から感じたことを綴っていきます。

「ゴッドタイミング」

 

すべてのことには時がある
私の叔母は熱心なクリスチャンだ。
先日、東京都世田谷区にある上馬キリスト教会のツイッターが人気を呼びネット上で話題になっていた。「ノンクリスチャンの方に礼拝に参加してもらうこと」を目的に、キリスト教や聖書の一見堅そうな世界を、ゆる~くユニークな言葉で日々発信している。

www.kirishin.comこの話を叔母に知らせ、困る前から教会に繋がれたらいいなと、教会の活動が予防支援のような役割もあったらいいね、というような内容のLINEをしたら、「本当にそうだね~」というコメントと共に以下のような返信があった。

おばちゃんは、伝道には「時」があると思っています。
「すべてのことには時がある」と聖書にあります。(自分の家族の時)そのことをとても感じました。
いつも愛する人の救いのことを祈っていたら、神様はその人にとってちょうど良い「その時」(ゴッドタイミングとおばちゃんは言っています)に伝道しなさいと背中を押し出してくれます。
おばちゃんは不器用です。おばちゃんにとって今まで、その人とは、多くの人をまとめて…ではなく、その人に集中してその人1人ずつでした。
ゴッドタイミングがいつかあると信じて。

これは、もちろんキリスト教の伝道の話だけれど、ソーシャルセクターの「支援」にも通じる話だ思った。それまで動き出さなかった人が動き出すタイミング(ゴッドタイミング)は、人がコントロールできるものではない。
その人の生きる時間の中で様々な要因が影響して、何かが動き出すのだろうと思う。でも、なぜ動き出したのか明確な要因はわからない。だから「ゴッドタイミング」。
「ゴッドタイミング」は、そのタイミングを共に待ち、純粋に本気で祈ってくれる(支援してくれる)人がいると、まさに「その時」というタイミングで訪れたりするのかもしれない。

 

ゴッドタイミングを評価できるか
このような人が動き出す(人が変わる)「ゴッドタイミング」を数値化し評価できるのか。また、私の叔母や支援者のように「共に待つ」人の行動をどう評価できるのか。むしろ、「待たない」ことが評価されることになっていないか。

一般社団法人officeドーナツトーク代表の田中さんは、以下のように指摘している。

だから、ソーシャルインパクト評価、あるいは数字の絶対主義は、支援の本質、人間が偶然の他者との出会いによって徐々に変わっていくそのおもしろさを隠蔽してしまう。
そんな、「人間が変わることのおもしろさ」を、現在の成果求道主義のこの社会は押しつぶす。 

news.yahoo.co.jp
まさに残酷なソーシャルインパクト評価。

 

来週は、ソーシャルインパクト・セミナー「社会的インパクト入門講座(NPO編)」に参加予定。ちゃんと勉強して、批評していきます。