傍楽:来栖香のブログ

「働く」とは「傍(近くにいる人)」が「楽(らく)」になること。日々の仕事を通じて社会に貢献する、社会起業家の働き方や生き方を研究中。このブログでは、社会課題をビジネスの力で解決するソーシャル・ビジネス、非営利組織の経営、CSRなどについての気づきを共有していきたいと思います。

目の前に倒れている人がいても助けられない心理

 本当に毎日暑い。こうも暑いと当然のことながら、通勤ラッシュや帰宅途中に具合が悪くなる人を見かけるケースも増えてきたように思う。

私は倒れてる人(うずくまっている人)を見かけたら、声をかけるようにしている。

しかしながら、その前を通り過ぎていく人がほとんどだ。

 

 先日、フローレンスで働く尊敬する友人と久しぶりに東中野で食事をして、いろいろな話をした。彼女は、いつも私の三歩くらい先の視点をもっていて、大切な気づきを与えてくれる。

東中野駅は、2年間に渡り監禁されていた埼玉県朝霞市の女子中学生が脱出し助けを求めて保護された駅なのだそうだ。助かって本当に良かった。命からがら逃げてきて、やっと助けを求めたところでも、助けてもらえないことも、このご時世不思議ではないから。

 そんな話をしていると、彼女が「この暑さって路上生活者には本当に厳しいだろうね。大丈夫なのかな?」と言った。確かに、これまでは1年の中で冬の凍死が一番心配だったけれど、この暑さが毎年となると夏も相当厳しいのではないか。

そして、うずくまっている路上生活者の前も、多くの人が普通に通りすぎていく。

 すると「私、男性にはなるべく声かけるようにしてるんだ」と彼女が言った。

理由は、男性が倒れていると、「酔っ払いだろう」とか「男だから大丈夫だろう」などと自己責任で片付けられ、声すらかけられないことが多いからだと言う。

確かに、私も男性よりも女性に声をかけることが多い。どこかで「飲みすぎかな」とか「まあ、大丈夫かな」とか思ってスルーしているのだということに、はっと気づかされた。

 

 本来、目の前に人が倒れたいたら(うずくまっていたら)、その(具合が悪くなった)理由なんかは関係なく(わからないし)、その事象だけを見て助けるべきなのではないだろうか。 それを、何かと理由をつけて助けられない人が多いのだ。

 

 この延長線上に、日本人の、路上生活者や難民問題への関心のなさがあるのではないかと感じる。かたい言い方をすると、社会全体としての人権意識の欠如と言えるのではないだろうか。


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