路上生活者支援をしている「TENOHASI」の会報誌が届きました。
2018年総会報告として、炊き出しに並ぶ人数がやっと200人を切ったとの報告がありました。2005年から記録を取り始めてから、200人を切ったのは初めてとのことです。支援者の方々の地道な努力の結果だと思います。ちなみに、リーマンショックの時は300人を超えていたようです。
ページをめくっていると、『「船橋はいいところだよ」 追悼 ますっち』という特集がありました。これは、TENOHASIのベテラン支援者(わたしも知っている方です)が、元路上生活者(ますっち)との出逢いからお別れまでのストーリーを5ページにも渡って綴っているものでした。彼の文章は愛情に溢れ、とても心に染み入りました。
「ハウジングファースト」は路上生活者を福祉に近づける
ますっちは「路上から直接アパートへ」というハウジングファースト型の支援をした一人目の方なのだそうです。路上生活者支援の課題として、首都圏で路上から生活保護を申請すると、劣悪な環境の施設(集団生活)に入れられて、そこで数か月耐えてやっとアパートに入居できるという現状があります。路上生活者の中には障害をもった方も少なくなく、この環境に耐えられずたくさんの人が逃げてしまうのです。ますっちも、過去何度も逃げてしまったそうです。
ところが、TENOHASIが心ある大家さんとアパート契約を先にすませ、その後生活保護を申請すると、あっさり「路上→アパート入居」が認められたそうです。これで、ますっちは、アパートに入居することになります。(これが、ハウジングファースト!)
でも、アパート生活になったからといって、ますっちが抱える本質的な問題が解決するわけではありません。
ますっちは軽度の知的障害があったそうです。前述の通り、路上生活者には障害をもった方が多く、福祉につながりにくいという問題があります。ただ、ますっちは支援にはつながっており、40歳くらいまで制度を利用しながらご家族と暮らしていたそうです。ただ、その後交通事故に遭い、頭や脚にも障害が残ってしまったといいます。
また、工場で働いていたときに悪い同僚がいて、お酒・ギャンブル・シンナーを教わって歯止めが利かなくなり、家族といろいろあって、家を出て路上生活に入ったようで、彼が初めてますっちに会ったときは、50代半ばだったそうです。
アパート暮らしになって、安心して暮らしたのかなと思いきや、アパートの大家さんのお話によると、一人暮らしがつらかったようです。寂しいというのと、掃除やゴミ出しで注意されることや隣人への気遣いなどがあったみたいです。繊細な方だったんですね。それから、アパートから、いなくなっては戻ってくることを何回も繰り返し、1年くらいでそのアパートを退去します。
でも、そんな中、支えになったのが、元路上生活者の仲間だったようです。
アパートを退去したあとも、彼とますっちとの関わりは切れることなく、路上とグループホームをいったりきたりしたあとに、べてぶくろのグループホームに入り、そこから再びアパート生活にチャレンジします。(べてぶくろとは、当事者研究を発明した浦河べてるの家の池袋支部です)
何度でも戻ってこれる場所
ハウジングファーストには「何回失敗してもまた家を用意するし、何回でも支援する」というポリシーがあるそうです。
しかしながら、実際のところは、「もうダメだ」と思うことが何度もあったといいます。
でも、その度に、ますっちは戻ってきて、みんなも「おかえりなさい」と迎え入れる。そして、また支援を始められる関係性があるんですね。TENOHASIの支援は、人権(存在の支援)をとても大切にされているのではないでしょうか。
会報誌の中で、大変印象に残っている部分があります。
映画が好きだということでオールナイトに2度付き合いました。家のある感覚を取り戻してほしくて何度も旅行に行きました。その頃は多くのボランティアが連携して支援する形でしたが、重い人ほど人手とお金が必要です。ところが、そういう人ほど福祉的には劣等処遇になっていく。
社会的包摂が大事だと言いますが、依存症の方は支援側から見えないネットワークに既につながっています。お酒や薬をおごってくれる人やカツアゲする相手です。そんなネットワークでも孤立よりは良いのだと言いたい気もしますが、それなら被害者のケアもしなければならない。(TENOHASI会報誌『「船橋はいいところだよ」 追悼 ますっち』より)
示唆に富む内容です。依存症に限らないのかもしれませんが、支援側から見えないネットワークというのは、支援者にとってとても手強いのではと思います。
以前、パノラマの石井さんが座間市の死体遺棄事件から、以下のようなことを書かれていました。
弱った者を自分に依存させることは容易い。そして、依存されていない他者が、その依存を解くことは非常に難しい
人間は弱ってしまうと「あっという間に」悪い仲間に依存してしまうのだろうと思います。
そして、それは例え家族であっても、依存されていない人がその依存を解くことは難しいし、それが良いこととも限らないのだろうと思います。
『悪い仲間であっても「孤立よりはいい」』と思うのは人間の本能なのかもしれません。
また、重い人ほど人手とお金が必要なのに、現状はそういう人ほど福祉的サポートを受けられていないというのも考えさえられます。ますっちを見てもそうですが、重い人ほどケースも多様で、「仕組み」にはまりにくいので、成功のモデルケースをつくるというのは難しいのではないかと思います。そうなると、ビジネスモデルをつくる(事業化)というのもなかなか難しいと思います。つまり、
重い人ほどKPIを設定するのはむつかしく、生産性を軸にした「成果」からは遠くなるため、お金がつかない
という問題です。エビデンスはしっかり集めていて調査レポートを出したり、政策提言をしていてもです。もちろん、KPIを設定し見せる努力は必要ですが、それ以前に、それができなかったとしても、彼らが路上で生活していることを正当化できることにはならないはずです。無条件に支援が受けられるべきであり、人権は守られるべきです。
横連携の重要さ
ますっちは、孤独に耐えられずTENOHASIのアパートからは出てしまいましたが、TENOHASIとつながりのある「べてぶくろ」のグループホームにつながり、当事者研究で困難を乗り越えながら、アパート入居に再チャレンジします。より合ったサポートを受けらるようになったのではないでしょうか。
ここから感じるのは、現場支援者同志の横連携の重要さです。
社会問題は複雑化且つ多様化し、ひとつの団体では解決できないことが増えてきていると感じます。それに対応していくには、現場支援者同志のネットワークが強化される必要があると感じました。
たとえば、ホームレス支援団体の支援者と児童養護施設退所者の支援者のつながりなども必要だと思います。
最後に、、TENOHASIは、今年度経営が厳しいようなので、寄付をぜひよろしくお願いいたしますm(__)m