傍楽:来栖香のブログ

「働く」とは「傍(近くにいる人)」が「楽(らく)」になること。日々の仕事を通じて社会に貢献する、社会起業家の働き方や生き方を研究中。このブログでは、社会課題をビジネスの力で解決するソーシャル・ビジネス、非営利組織の経営、CSRなどについての気づきを共有していきたいと思います。

ロマンチック・ラブ・イデオロギー というバイアス②〜女性に過度な期待がかかる日本の家族制度〜

前回の続き

「家族」という言葉を聞いて、「家族団欒」などをイメージする人もいれば、「修羅場」「地獄」など心が凍りつく人もいる。

障害をもつ人にとって、家族は後者となる場合もあり、家族からの介助の延長線は暴力につながりやすいと聞いた。つまり、介助を受ける側にとっては、常に暴力の影に怯える日々を過ごすことになるのだろう。

 

熊谷氏はパートナーとは籍を入れていないそうだ。その理由は「ヘルパーが利用しにくくなるから」だという。

日本では、結婚した途端、女性への家庭内での役割の期待値が過度に上がる。介助においても、パートナーに過度な期待値がかかり、周りの目を気にして、ヘルパーを利用することが難しくなる。

パートナーに介助をしてもらうということは、対等な関係からずれていくことでもあると、熊谷氏は話す。(介助する側が精神を病んでしまうということもある)

 

これは、育児や介護の問題にも絡んでくるが、女性の育児・介護の負担はとても大きく、この負担を大きくしているものは、結婚制度や家族制度から出来た慣習なのではないだろうか。(育児や介護を外部に頼ることで、良き母親や良き妻でないとされる)

だったら、その制度に敢えて入らないというのも、必然の選択かもしれない。制度の外で話し合って決めることができる。

 

家族を家族が介助するということは、介助する側もされる側も大変なことだ。関係性も一気に崩れる可能性がある。

だから、血縁による家族という括りを壊し、外へ解放していくということも必要だ。

一方、 我が国の政策は、社会保障費の削減から、介助を家族に戻そうとしている風潮がある。